わたしたちの郷土 西会津町 -087/122page

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大正〜昭和のはじめのころの学校

 明治(めいじ)35年にたてられた校舎(こうしゃ)がせまくなったので,1913年(大正(たいしょう)2年)中(なか)校舎と講堂(こうどう)ができました。屋根(やね)はかわらぶきで,ガラス戸でした。そのため,教室は明るくなり,校庭(こうてい)も広くなりました。

▼講堂・中校舎・旧校舎が並ぶ▼唱歌(しょうか)の時間

戦争が終わったあとの学校

 1947年(昭和22年)に学校の制度(せいど)がかわり,小学校と中学校に分かれました。このころは,戦争(せんそう)が終(お)わったあとだけに,教科書はザラ紙に印刷(いんさつ)したものでした。また,えんぴつやノートもそまつなものでした。1954年(昭和29年)に町村が合併(がっぺい)して,西会津町立野沢(にしあいづちょうリつのざわ)小学校となりました。

▲昭和30年代の校舎(昭和33年10月の航空写真)
▲昭和30年代の校舎(昭和33年10月の航空写真) ▲昭和35年3月の卒業生
                            ▲昭和35年3月の卒業生


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