わたしたちの郷土 西会津町 -087/122page
大正〜昭和のはじめのころの学校
明治(めいじ)35年にたてられた校舎(こうしゃ)がせまくなったので,1913年(大正(たいしょう)2年)中(なか)校舎と講堂(こうどう)ができました。屋根(やね)はかわらぶきで,ガラス戸でした。そのため,教室は明るくなり,校庭(こうてい)も広くなりました。
戦争が終わったあとの学校
1947年(昭和22年)に学校の制度(せいど)がかわり,小学校と中学校に分かれました。このころは,戦争(せんそう)が終(お)わったあとだけに,教科書はザラ紙に印刷(いんさつ)したものでした。また,えんぴつやノートもそまつなものでした。1954年(昭和29年)に町村が合併(がっぺい)して,西会津町立野沢(にしあいづちょうリつのざわ)小学校となりました。