わたしたちの郷土 湯川村 - 018/106page
農業用機械(きかい)の普及(ふきゅう)
耕地(こうち)や農道(のうどう)の整備(せいび)がすすむとともに、農業用の機械も大型化(おおがたか)してきました。小型(こがた)の耕耘機(こううんき)から、大型トラクターが増(ふ)えてきました。
昭和45年頃(ごろ)は、家族(かぞく)はもちろん、近所(きんじょ)の人や親戚(しんせき)の人を頼(たの)んで、手で田植えをしていましたが、今では、そういう風景(ふうけい)も見られなくなりました。一度に何条(なんじょう)も植えられる田植え機が使われるようになりました。
田植えが機械化してくると、稲刈(いねか)りも同じように機械化されてきました。それも、稲を刈るだけでなく、刈り取るとすぐ脱(だっ)こくをしてしまうコンバインが使われるようになりました。
稲の収穫が、稲刈りと脱こくを同時(どうじ)に行うようなるとどうしても、もみの乾燥(かんそう)が必要(ひつよう)なります。この頃になって、半数以上の農家が二階建ての家の高さほどもある乾燥(かんそう)機をそなえるようになりました。
平成8年には、笈川地区内にJA湯川村カントリーエレベーターが完成(かんせい)し、一度に3,000トンもの米を、乾燥(かんそう)、貯蔵(ちょぞう)、精米(せいまい)することができるようになりました。
このように、湯川村では、あまりお金をかけないで、共同の力で新しい時代の、新しい農業がすすめられているのです。