わたしたちの郷土 湯川村 - 079/106page
4.かわってきた湯川村
(1)学校のうつりかわり
わたしたちの学校は、いつできたのでしょう。学校には沿革誌(えんかくし)といって、学校の歴史(れきし)を書いた帳簿(ちょうぼ)があります。学校の沿革誌をみると、わたしたちの学校がいつ、どこに、どのようにしてできたか、どのように変わってきたかがわかります。
湯川村には、笈川小学校・勝常小学校・湯川中学校の3つの学校がありますが、ここでは笈川小学校と勝常小学校のことを例(れい)にして、学校のうつりかわりを調べました。
明治のころの学校
わたしたちの学校は、約130年くらい前にお寺を借(か)りてはじまりました。1873年(明治6年)に、笈川小学校は妙興寺(みょうこうじ)を、勝常小学校は勝常寺を借りてはじまりました。その後、通学する人がふえ、せまくなったので勝常小学校は1885年(明治18年)、笈川小学校は1886年(明治19年)に新しくたてられました。
そのころの校舎は、土蔵で(どぞう)で、屋根はかやぶき、戸はしょうじ戸で、ござやむしろの上にすわり、つくえにむかって勉強しました。えん筆ではなく、筆(ふで)で書いていました。服そうも今のわたしたちとはちがっていました。
妙興寺(みょうこうじ)
(明治6年5月3日創立(そうりつ)) 勝常寺(しょうじょうじ)
(明治6年5月25日創立)