わたしたちの郷土 湯川村 - 083/106page
(2)村のうつりかわり
湯川村ができるまで<現在の湯川村>
わたしたちの湯川村は、「米と文化の里」と言われるように、古くから勝常寺のような仏教(ぶっきょう)文化が栄(さか)え、人々のくらしも豊(ゆた)かな大地(だいち)の恵(めぐ)みを受けて、地域産業(ちいきさんぎょう)として稲作(いなさく)を中心とした農業(のうぎょう)が発達してきました。村では、健康で文化的な村づくりをめざして、いろいろなことに努力してきました。
農業の発展(はってん)のために、大きな田や畑を作る土地の整備(せいび)をしたり大型の農業機械を導入するようになりました。農業技術(ぎじゅつ)センターやカントリーエレベーターを作って、農業の近代化(きんだいか)をはかりました。
さらに、福祉(ふくし)にも力を入れ、保険(ほけん)センターや高齢者(こうれいしゃ)コミュニティーセンター、デイサービスセンターなども作られ、老後(ろうご)も心配(しんぱい)なくくらすことができるようになりました。
農業技術センター カントリーエレベーター 保健センター デイサービスセンター