わたしたちの柳津町 -038/093page

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5 かわってきた人びとのくらし

(2) 学校のうつりかわり

1 昔(むかし)の学校の様子

★昔(むかし)の学校の様子を家族(かぞく)で話し合ってみましょう。
学科場所年代生徒数教師
筆道読書大成沢天保元年(1830)男 5鈴木庄左衛門
四ッ谷天保元年(1830)男 8菊地儀平
かぶちゅう天保2年(1831)男 7二瓶宗五郎
久保田天保10年(1839)男11小野左京
黒沢嘉永元年(1848)男 7伊藤三十郎
砂子原嘉永元年(1848)男 6山内秦教
嘉永元年(1848)男15蓑田直衛
牧沢嘉衛2年(1849)男 7天野保三
湯八木沢嘉衛2年(1849)男 7小島左伸
五畳敷 男 7猪俣安次
高森  佐藤義一
柳津 男30女 5武井重蔵
▲寺子屋(てらこや)を開いた場所(ばしょ)・年代(ねんだい)・生徒数(せいとすう)・教師名(きょうしめい)

  今から140年位(くらい)前には、五じょう敷(しき)に猪俣安次(いのまたやすじ)という人が 開いた寺子屋(てらこや)があり、その時使われていたらしい大そろばんが残(のこ)っています。

大そろばん
▲大そろばん

  100年位(くらい)前には、長倉(ながくら)に飯溪堂(はんけいどう)という寺子屋(てらこや) があり、名主(なぬし)の目黒重介(めぐろじゅうすけ)・三郎(さぶろう)親子(おやこ)が 教育(きょういく)にあたりました。学習(がくしゅう)の内容(ないよう)は、 読み・習字(しゅうじ)・そろばん・漢文(かんぶん)などが中心でした。 家族(かぞく)のひとりとして生活しました。

飯溪堂の額
▲飯溪堂(はんけいどう)の額(がく)


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