わたしたちの柳津町 -039/093page
2 柳津小学校のうつりかわり
初(はじ)めての学校は、明治(めいじ)5年(120年前)に福満虚空蔵尊(ふくまんこくうぞうそん) で開かれました。その後、公民館(こうみんかん)のあるところにでき、明治(めいじ)40年には、 町民(ちょうみん)センターのところに、大きな学校が建てられました。
しかし、この学校は、昭和(しょうわ)21年に、火事(かじ)でやけてしまいました。
昭和(しょうわ)22年に、木造(もくぞう)の新(あたら)しい学校を、 今の反対(はんたい)がわにつくりました。
児童(じどう)数は、一番多い時(昭和(しょうわ)33年ごろ)には、1000人ほどもいました。 昭和(しょうわ)50年ごろから今と同じ300人ぐらいになりました。
分校(ぶんこう)は、藤(ふじ)・石坂(いしざか)・大柳(おおりゅう)・軽井沢(かるいざわ) (一時(いちじ)の西山小の分校)・飯谷(いいたに)(麻生(あそう))・郷戸(ごうと)・ 猪鼻(いのはな)にありました。
児童(じどう)数がへってきたこともあり、すべて閉校(へいこう)となり、 今はスクールバスで通(かよ)うようになりました。