わたしたちの柳津町 -051/093page
2 鉄道(てつどう)のうつりかわり
柳津町に鉄道(てつどう)が開通(かいつう)したのは、今から70年前でした。 町の人びとは、まちにまった開通(かいつう)だったので、大いに喜び、 柳津駅は、福満虚空蔵尊(ふくまんこくうぞうそん)の参拝客(さんぱいきゃく)などで 大へんにぎわい、駅前(えきまえ)に大平町(おおひらちょう)ができあがりました。
しかし、自動車を利用(りよう)する人がふえて、利用客(りようきゃく)は少なくなっています。
3 バスのうつりかわり
▲のりあい馬車(ばしゃ)(トテ馬車)
大正(たいしょう)はじめ、柳津町と会津坂下町の間を行き来しました。
▲12人のりバス(コマンシャール)
昭和(しょうわ)3年、馬車にかわってはじめて、バスが通(かよ)いました。バスが、今のように、数多く通(かよ)うようになったのは、 戦後(せんご)(昭和(しょうわ)20年以後、50年ほど前)からです。