わたしたちの柳津町 -084/093page

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トンネルで、12年もの長い年月とたくさんの費用(ひよう)がかかりました。 待(ま)ちに待(ま)った水が、できあがった用水路(ようすいろ)を通(とお)って とうとう流れてきたとき、人びとは今までの苦労(くろう)を思い、 手を取り合って涙(なみだ)を流さんばかりに喜びあいました。

  トンネルが多いので、とくに地震(じしん)や大雨(おおあめ)のときはくずれる所(ところ)が 多く、その修理(しゅうり)はたいへんでした。村の人びとは力を合わせ、 年々開田(かいでん)をふやし、72ヘクタールの水田(すいでん)が開かれました。

水田に広がる郷戸地区
▲水田に広がる郷戸地区(ごうどちく)

用水路の完成を記念して建てられた碑
▲用水路(ようすいろ)の完成(かんせい)を記念して建(た)てられた碑(ひ)

★郷戸原(ごうどはら)の開(かい)たくの方法(ほうほう)を道具を使って体験(たいけん) したり、今の郷戸地区(ごうどちく)の新しい開(かい)たく方法(ほうほう)を 調(しら)べてみましょう。

広く整備された郷戸原
▲広く整備(せいび)された郷戸原(ごうどはら)

リモコンヘリコプターによる種まき
▲リモコンヘリコプターによる種まき


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