わたしたちの柳津町 -083/093page

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3 きょうどを開く

(1)郷戸原(ごうどはら)の開(かい)たく

入山堤
▲入山堤(いりやまつつみ)

中ノ川からのトンネル
▲中ノ川からのトンネル

トンネル工事
▲トンネル工事

  郷戸原(ごうどはら)は柳津で一番広く平らな土地です。今から50年ほど前までは、 高いところに水田(すいでん)を開くことができず、畑ばかりで、 お米をつくって豊(ゆた)かにくらしたいという村の人びとの願(ねが)いをどうする こともできませんでした。

  昭和(しょうわ)7年、坂下町の酒井辰太郎氏(さかいたつたろうし)は、 村人のこの様子を知って、西山地区(ちく)からの水の利用(りよう)を考え、 計画を立てて村々に相談(そうだん)したり、何度(なんど)も県庁(けんしょう)に お願(ねが)いしたりしました。この酒井(さかい)氏の熱心(ねっしん)さは人びとを 動かし、昭和(しょうわ)13年ついに工事に取りかかることになりました。

  当時(とうじ)は、日中戦争(にっちゅうせんそう)・太平洋戦争(たいへいようせんそう) の最中(さいちゅう)でした。また山や谷が多く、つるはしやスコップによる工事で、 道具や労働力(ろうどうりょく)は十分でないなかで、昭和(しょうわ)25年6月、 ついに工事は完成(かんせい)しました。

  西山地区(ちく)の東川(ひがしがわ)の水源地(すいげんち)から長さ5438メートル、 そのほとんどが


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