会津高田町勢要覧 -003/031page

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歴 史

歴史

安息と閉隠の理想郷は信仰の里に存在していた

中央の文化がいち早くこの地にもたらされた

会津の聖地、伊佐須美神社。四道将軍の父子がそれぞれの道をたどり、東北道の各地を平定した後、 この地で出会ったことから「会津」という地名が起こったと伝えられています。 この時、国家鎮護のため、国土開拓の神様であるイザナギノミコト(伊幣諾尊)、イザナミノミコト(伊幣冊尊)の 二神を新潟県境の御神楽岳に奉斎しました。 これが伊佐須美神社の起源とされています。

その後、博士山、明神ヶ岳を経て、欽明天王十三年(五二二)に高田南原の地に遷御。 同二十一年(五八〇)現在の宮地、東原に御社殿を造営しました。御鎮座されて以来一,四〇〇有余年、名神大社・岩代国一宮・会津総鎮守の 格式をもち、いまなお産業文化、延寿縁結、交通安全などの守護として県内外の人々の深い崇敬を集めています。 伊佐須美神社の四道将軍神話は、この地に中央の農耕技術や先進文化が伝えられたことを物語るものであり、会津文化発祥の地であるといえます。 いわば会津高田町は農譲の土地であり、理想郷なのです。


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