せんそうがあったころ(60年ぐらい前)
1941年に太平洋せんそうが始まりました。そのせんそうで,わたしたちの町からも,たくさんの若い人たちが軍隊に入ったり,兵器をつくる工場ヘ工員として出て行ったために,農家では,働き手を失い,農作物をこれまでのようにつくることができなくなりました。そのため,食べ物も少なくなり,みそやしょうゆなど,国からのはいきゅうだけでは間に合わなくなりました。それで,米と物とを交かんすることも行われるようになりました。
また,B29という飛行機がわたしたちの町の上空にもとんで来るようになり,女の人を中心に,防空えん習が行われ,ばくだんを落とされたときの消火くん練などをしました。
防空ずきんや防火用の水おけやもんぺなど,防さいにひつようなものが,各家庭にもじゅんびされていました。
▲防空えん習
▲せんそう時のふくそう