わたしたちのきょう土 会津高田町-086/109page

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せんそうがはげしくなると,大きな都市から地方の農村へ安全のために一時ひなんするそ開が始まりました。
わたしたちの町にも,おとなの人はもちろん,東京の小学生もそ開してきました。
そ開してきた小学生は,町にあった旅館にとまり,あれ地を開こんして作物をつくったり,午前中は旅館で勉強し,高田小学校の子どもたちが帰ったあとの空いた教室で,午後から授業をうけたりしました。

そ開した人
そ開した人の思い出
(「東京都台東区立西町小学校記念誌」より)
安全といわれた東北地方にも空しゅうが始まり高田町の上空にもB29がとんできました。そのころ,そ開してきた子どもたちの世話をしていた女の人が,大きなかまでごはんをたいていると,消防団の人が,「けむりを出すな。」「火を消せ。」と町のあちこちでさけんでいましたが,「子どもたちにこのごはんを食べさせないわけにはいかない。」と,かまどの火をもやしつづけていたすがたが,いまでも目にやきついています。
あの人のおかげで,いまがあるのかもしれません。 (一部しょうりゃく)

▲そ開していた小学生
▲そ開していた小学生

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