わたしたちの郷土 会津本郷町 -100/127page

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第5章 郷土(きょうど)を開いた人々

1 山城(やましろ)を築(きず)いた芦名盛氏(あしなもりうじ)

 芦名盛氏(あしなもりうじ)は,芦名氏第16代の黒川城(くろかわじょう)(後の鶴ヶ城(つるがじょう))主(しゅ)です。

 芦名氏は,相模国三浦(さがみのくにみうら)の豪族三浦義明(ごうぞくみうらよしあき)の子佐原義連(さはらよしつら)から起こりました。義連は1189(文治5)年に奥州平泉(おうしゅうひらいずみ)(岩手県)の藤原泰衡(ふじわらやすひら)を攻(せ)め滅(ほろ)ぼしたいくきのほうびどとして会津の一部に領地(りょうち)をもらいました。その後,義連の四男の光盛(みつもり)が芦名氏の祖(そ)となり,少しずつ会津各地へカをのばしていきました。7代直盛(なおもり)の時に,現在の会津若松の地に城を築(きず)いて黒川城と名づけ,城下(じょうか)を黒川としました。1589(大正17)年に伊達政宗(だてまさむね)に滅(ほろ)ぼされるまで会津を支配(しはい)していました。

 盛氏が,1553(天文22)年に33オで黒川城主となってからは,伊達氏と親類関係(しんるいかんけい)を結(むす)んだり,そむいてくる豪族(ごうぞく)を武カ(ぶりょく)で押(お)さえたりして,中通(なかどお)りや越後(えちご)の方にまでカが及(およ)ぶほどになりました。

 盛氏は,晩年(ばんねん)になると会津本郷町に向羽黒山城(むかいぐろさんじょう)を築き,1568(永禄11)年に隠居(いんきょ)をして移(うつ)り住(す)みました。そこへ旅人や文化人を招(まね)いて,自然(しぜん)を楽しみながら住んでいました。そして1580(天正8)年6月に60才で亡くなりました。


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