時空抒情 新鶴村村制施行100周年記念誌 -032/057page
田園景観といえば点在する 散居集落が代表的だが、そ の他、新鶴村ではどの集落 でも蔵のある風景が目につ いた半は明治三七年(一九〇四)日露戦争、大正三 年(一九一四)第一次世界大戦、昭和六年(一九 三一)満州事変、一二年(一九三七)日中戦争、 一六年(一九四一)太平洋戦争と、富国強兵を 国是とする戦争の半世紀であったため、重工 業が脚光を浴びて農村は食糧基地・人材供給 の立場で翻弄され、疲弊していく。たび重な る農業協同組合の組織改変や農地調整法・食 糧調整法の施行は、その影響であった。
本当の意味で、農村が大きな変貌をとげて いくのは昭和二〇年(一九四五)の終戦を待た なければならなかった。
戦後処理として、先勝国の命令機関である GHQ(連合国軍総司令部)の統治が始まり、 一〇月一一日にはマッカーサー総司令官によ る「民主化五大改革」の見解発表があるなど、 矢継ぎ早に民主化政策が打ち出された。一二 月九日には「農民解放に関する指令」が発せら れ、明治以降、ますます強固に封建的な社会 意識を温存し、多くの農民生活を犠牲にして きた地主制も瓦解していく。
二一年一一月から施行された「自作農創設特 別措置法」で、地主と小作人関係が撤廃され、 小作人は自作農民として認められた。そして、 「改正農地調整法」では農地の八七パーセント が自作地になった(新鶴村では九四・八パー セント)。これに関し『村誌』には、「この大改 革の旧地主、旧小作間の思想的対立は、小さ い農村社会である部落生活に、いろいろな動 揺を来している。この行き過ぎは漸次調整さ れてゆくであろうが、土地は耕す人々が所有 すべきものとの本旨は徹底したようである。 実にあわただしい、無血革命ともいわれたほ どの大改革であった」とある。
新鶴村農業協同組合が設立されたのもこの