時空抒情 新鶴村村制施行100周年記念誌 -046/057page

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弘安寺境内
弘安寺境内
弘安寺境内
弘安寺境内
写真上−弘安寺境内

桜の花びらが舞う堂宇

 春爛漫の季節になった。会津盆地は黄色い 菜の花やピンクの桃、白い梨の花々におおわ れ、桃源郷とはかくやといった風光だった。
 弘安寺観音堂に安置されている鋼造十一面 観音は、会津坂下町の立木観音、西会津町の 鳥追観音と共に、「会津ころり三観音のひとつ 中田観音」として名高く、また会津三十三観 音の三十番札所でもあるため、観光客や巡礼 者が引きも切らず、四月半ばのこの日も境内 は殷賑(いんしん)を極めていた。
 弘安寺の霊験(れいげん)や口碑(こうひ)は色々とある。遠国の 旅路や戦場の出陣に厨子の床下の砂を請けて いくのを「砂守り」という。これは他山の土に ならないという霊験があり、無事帰参の折に は砂を倍加してお礼参りをするのだという。 また、堂内北方にある大丸柱を「抱きつき柱」 といい、妊娠中の婦人が抱きつけば安産の霊 験があるといわれている。「ころり観音」の異 名は、健康な一生と、家族に迷惑をかけずに 文字通りころりと旅立つご利益があるからで ある。
 また、猪苗代町生まれで「世界の医聖」と謳 われた野口英世の母堂シカは、子を思う親の 信心をいわれとする中田観音に帰依し、息子 英世の火傷(やけど)の治癒と立身出世を祈願するため に月参りを欠かさなかったという。
 それらを講釈する大沢住職の朗々たる声が、 所狭しと千羽鶴が吊り下がった堂内に響き渡 る。春の風が爽やかに堂宇を巡り、どこからと なく、淡雪のような枝の花びらが舞っていた。

中田観音に詣でた野口英世博士
中田観音に詣でた野口英世博士。
左は母堂シカ、右は恩師小林栄先生(大正4年/野口英世記念館所蔵)

村内を彩る菜の花畑
種を蒔くご夫婦
「種蒔き桜」の異名通り、満開の千歳桜を合図に畑に種を蒔くご夫婦に出会った
 上は村内を彩る菜の花畑


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