時空抒情 新鶴村村制施行100周年記念誌 -054/057page

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新鶴村一○○年回顧

名誉村民・理学博士
山口弥一郎

 新鶴村は明治三十一年(一八九八)新田・鶴野辺の合併村で、成立一〇〇年に当り、お目出度うございます。
 計らずも昨年私は名誉村民の称号を戴き、有難うございました。厚く御礼申上げます。
 その理由のひとつに「奥州会津新鶴村誌」を刊行したことによるようですが、これは私一人の研究ではなく、多くの郷土研究家の集積によるものです。特に各部落誌・民俗誌などを詳述してあるが、これは町村誌の記述に先鞭をつけることになり、その後は皆、身近な部落誌を多く附けるようになった。
 私は新屋敷新田村に生れ育ったが、その頃までは鶴沼川辺には葦谷地や湿地が多く、古くからの村は佐賀瀬川扇状地の上にあった。現在の阿賀川は古くは単に大川と呼んでいたが、会津盆地の西山麓が低く、佐布川辺に流れてきて宮川と合し、新鶴村の東縁を北流している。
 それで古い開発は西山麓か、佐賀瀬川扇状地の末端が早かった。会津高田町と会津坂下町の両町に商圏がはさまれているが、会津若松市にも一部古くから固定商圏もあり、時に商圏の分割もされようとしたが、もともと合併された村で、再び分割されないように要心してきた経緯もある。


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