会津盆地西部地区の農業 - 008/100page
▲田子薬師堂 ほかに,「田子薬師堂(たごやくしどう)」ともよばれる常福院(じょうふくいん)薬師堂は,国の重要文化財・建造物(けんぞうぶつ)として価値がみとめられています。本尊(ほんぞん)の「薬師如来座像(やくしにょらいざぞう)」は,高さが174センチメートルもあります。
今の新鶴村は,明治31年に新田(にった)村,鶴野辺(つるのべ)村が合併し,さらに昭和22年に西山(にしやま)村(現柳津町)の一部(大谷地,市野,上平,二岐)が編入(へんにゅう)されてできたものです。
人口は,昭和30年の6,649人をピークとして,年々へり始め,昭和50年ころから横ばいの状態になっています。平成9年8月では4,292人となっています。
(3)新鶴村の土地の様子
新鶴村を空からながめてみると,およそ54パーセントは山林や原野(げんや)におおわれていることがわかります。その地形の様子から3つの地域にわけられます。
西部山地
明神ヶ岳連峰(れんぽう)の西のふもと,標高689メートルの高尾峰(たかおみね)方面からの沢が「二岐(ふたまた)」で二岐川と合流(ごうりゅう)し,佐賀瀬川となっています。この川の渓谷(けいこく)づたいにできた山間地です。
佐賀瀬川流域(りゅういき)の扇状地(せんじょうち)
新鶴村の最も特徴(とくちょう)をしめす地域です。佐賀瀬川が山地から平地に出た所で,流れてきた土砂(どしゃ)が扇形(おうぎがた)に積もってできた土地です。このような所を扇状地と言います。