会津盆地西部地区の農業 - 011/100page

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4.会津坂下町

(1)会津坂下町の位置

 会津坂下町(町役場)は,北緯37度33分,東経139度43分に位置しています。東西11キロメートル,南北14キロメートルのややたて長で,面積が91.65平方キロメートルあります。標高は177メートル(町役場)の地点にあります。

 会津地方の主な市や町である会津若松市,喜多方(きたかた)市,会津高田町,柳津町へそれぞれおよそ12キロメートルのきょりにあるため,昔から交通の重要(じゅうよう)な所として栄えてきました。会津坂下町は,東は会津若松市,塩川(しおかわ)町,湯川(ゆがわ)村,西は柳津町,西会津町,高郷(たかさと)村,北は喜多方市,山都(やまと)町,南は北会津村,新鶴村と隣りあっています。

(2)会津坂下町の歴史と文化

 町の西部の山地には,縄文時代(じょうもん)の遺跡(いせき)(人々が住んでいた跡)が多数見られ,また,前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)(大昔,土を高くもり上げてつくった身分の高い人の墓(はか))としては,東北(とうほく)地方で2番目の大きさを誇(ほこ)る「亀(かめ)ヶ森(もり)古墳(こふん)」を始め,「鎮守(ちんじゅ)ヶ森古墳」「杵(きね)ヶ森古墳」などの古墳,さらに,「恵隆寺(えりゅうじ)観音堂・千手(せんじゅ)観音立像(リつぞう)」や「薬師如来座像(やくしにょらいざぞう)(宇内(うない)薬師堂)」といった国や県の重要文化財が数多くあることから,古くから文化が栄えたことがうかがえます。

 現在の会津坂下町は,昭和30年(1955年)に坂下町を中心として,若宮(わかみや)村,金上(かながみ)村,広瀬(ひろせ)村,川西(かわにし)村,八幡(やはた)村の1町5村が合併し,その後,昭和35年(1960年)に,高郷村の一部,高寺(たかでら)地区が編入されてできたものです。


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掲載情報の著作権は会津高田町教育委員会、新鶴村教育委員会、会津坂下町教育委員会、会津本郷町教育委員会に帰属します。
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