会津盆地西部地区の農業 - 016/100page

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向羽黒城跡
▲向羽黒城跡

 なかでも,三日町,六日町,本郷町では市(いち)が立ち,たいへんにぎわいました。今でも白鳳山公園(はくほうざんこうえん)には,本丸(ほんまる),二の丸,お茶屋場(ちゃやば)跡,馬場(ばば)跡などが残っています。江戸時代の会津藩主保科正之(ほしなまさゆき)は,瀬戸(せと)(愛知(あいち)県瀬戸市)から水野源左衛門(げんざえもん)を召(め)しかかえ,会津本郷焼(ほんごうやき)の基礎(おおもと)を作りました。

 現在の会津本郷町は,昭和29年(1954年)に本郷町,玉路(たまじ)村が合併し,さらに,昭和31年には,川南(かわなみ)村(今の北会津村)の一部(荒井,駅前,宗噸)が編入されてできたものです。

 人口は昭和58年(1983年)ころから横ばいの状態となって,平成9年8月では6,673人となっています。

(3)会津本郷町の土地の様子

 町の南側は,標高700メートル以下の山地で大部分がしめられています。その面積はおよそ27平方キロメートルで,町全体のおよそ70パーセントにあたります。

 町の東を南から北へ流れる阿賀川(大川)に,東の沢,西の沢,戸沢(とざわ)川が流れこんでいます。一方,西よりには氷王川が流れています。沢や川は,農業用水,工業用水,生活用水として大切な働きをしています。
 そこで,川にそって集落ができ,まとまった田や畑が北へと広がっています。


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