会津盆地西部地区の農業 - 045/100page
(3)会津高田町のかきづくり
会津身不知柿づくりの始まり
今からおよそ400年前,室町(むろまち)時代の終わりごろ,福島県安達(あだち)郡岩代(いわしろ)町のお坊さんが,中国からかきのなえ木を持ち帰り植えました。その後,かきは岩代町全体に広まりました。そこに住んでいた人が,会津に移り住むことになり,このかきをいっしょに持ちこんだのが始まりだと言われています。
江戸時代の中ごろになると,会津藩でもかきをたくさん作るようによびかけました。
初めは,会津若松市の門田(もんでん)地区が中心となっていましたが,それが会津のいたるところに広がり,会津高田町でも作られるようになりました。
▲会津身不知柿 会津身不知柿の今の様子
現在,会津高田町の農家では,米づくりや野菜づくりと合わせてかきづくりを行っています。特に,永井野上戸原(じょうどはら)地区では,ほとんどの農家がかきを作っています。
また,かきづくりは,ほかのくだものにくらべ手間がかからず,病気もつきにくいということで,数多くの農家で作られています。