会津盆地西部地区の農業 - 065/100page

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3米沢大堤(よねざわおおつつみ)(新鶴村)

 米沢はもともと山あいにある新しく開拓(かいたく)された村でした。しかし,土地が高く,水を川からあげてくるのが大へんでした。そのため,当時,富塚屋敷(とみづかやしき)とよばれていた所の西に大きな堤の工事が始められ,3年もの年月をかけて造られました。今からおよそ350年前のことです。それから2回もの大がかりな修理の工事をして,多くの村々の田んぼをうるおす大きな堤として完成しました。東西約165メートル,南北約99メートルと新鶴村では大きな堤のひとつです。
 しかし,昭和4年(1929年)5月,満水(まんすい)の時期に堤の一部から水がもれ出し,とつぜんくずれてしまいました。流れ出した水による被害(ひがい)は45ヘクタールにもおよびました。その後また改修され現在にいたっています。

米沢大堤

場所 新鶴村大字米田字平林 堤の高さ 9.5m 
堤の長さ 308m 受益面積 65ha
貯水量129,000m3


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