新鶴村 地名の由来 -001/079page

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大字・小字名の起源と新鶴村名の誕生

 戊辰戦役後明治元年9月鶴ケ城開城で藩制時代に終りを告げ,若松・坂下・野沢に民政局を田島に同出張所を置き地方民政の幕開けとなった。

 明治2年・3年に行政組織の改正が,更には明治3年9月には従来の組を廃止し区制を設け,大沼郡及び会津郡の内77ケ村を合わせて12区に分割,新鶴村の内,新屋敷・新屋敷新田・桧目・根岸中田・沖中田・阿久津・立行事・境野・佐賀瀬川・軽井沢(現柳津町)米沢(旧高田組)は66区に,出戸田沢・沢田・小沢・入田沢・和泉新田・蕎麦目・西原・梁田・大石目(旧中荒井組)は67区となる。

 明治5年地租改正の断行により,区画を判然とした地名(小字)が必要となり,小字の地名が定められた。多くの小字名は,その地に古くから用いられていた名前を生かして,広さの小さい所は他の部分と合わせ,あまり広い所は分割して名を付けた。

 小字名はできるだけ元の地名を用い,その表現には漢字を用い,字数を少なくすることですすめられた。(仮名で付けられた小字名も一部にはある。)

 明治5年4月,庄屋・名主・年寄を廃止し,正副戸長制となる。

 明治6年2月区制改正により若松管内を46区に分け大沼郡は第2大区となり,更に第2大区を15小区に分割境野南分・境野北分・桧目・米沢・根岸中田・阿久津・沖中田・新屋敷・新屋敷新田・長尾新田・佐賀瀬川は7小区に,立行事・大石目・梁田・下小沢・上小沢・西原・出戸田沢・入田沢・沼山・和泉新田・沢田・蕎麦目は8小区となる。

 明治8年4月27日15小区を改正し5小区となし,各小区に正副区長各1名を置く,現新鶴村全集落は,2小区に属す。

 明治8年8月従来の161ケ村の内94ケ村を併合して37ケ村となる。現新鶴村関係は,境野村・鶴野辺村(桧目・沖中田・阿久津・長尾新田)米田(米沢・根岸中田)新屋敷(新屋敷・新屋敷新田)立石田(立行事・梁田・大石目)和田目(和泉新田・沢田・蕎麦目)沼田(出戸田沢・入田沢・沼山)小沢(上小沢・下小沢・西原)佐賀瀬川。
 

 明治11年1月郡区町村編成法発布,同12年1月大沼郡役所を高田村に設置,各村の用係を廃止し戸長制度となる。

 明治16年3月戸長役場区域を郡内10ケ所に改正,戸長の下に用係等の吏員若干名を置き,各村には世話係が置かれた。立石田村(立石田・境野・雀林・米田・鶴野辺・和田目・新屋敷・小沢・佐賀瀬川・沼田)に戸長役場が設置された。

 明治21年4月17日市町村制公布,同22年3月23日市町村制実施と共に村名の改称があり,この年立石田村が新田村と鶴野辺村に分かれ, 明治8年8月改正による旧村名を大字名として現在まで続いている。

 明治31年1月23日鶴野辺村と新田村が合併し, 新鶴村名が誕生した。


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