新鶴村 地名の由来 -014/079page
東狐塚(ひがしきつねづか) (現 若田)
昭和38年耕地整理で字名変更となる。八十苅(はちじゅうかり) (現 満田)
昭和38年耕地整理で字名変更となる。集落北会津坂下町との境界。千 苅(せんがり) (現 千苅)
集落北,八十苅南隣。西北掘(にしきたぽり) (現 西北掘)
北村より北西,道エン北。道(どう)エン (現 道エン)
北村西隣。宮 田(みやた) (現 宮田)
南村北隣。竹ノ花(たけのはな) (現 竹ノ花)
南村の東南に位置する。西竹ノ花(にしたけのはな) (現 西竹ノ花)
竹ノ花の西隣。上澤ノ目(かみさわのめ) (現 上澤ノ目)
中澤ノ目(なかさわのめ) (現 中澤ノ目)
下澤ノ目(しもさわのめ) (現 下澤ノ目) 丙
蕎麦ノ目集落の南の窪地で,昔佐賀瀬川の跡地と云われている。
西の方は下小沢集落の境。下澤ノ目は澤田集落との境。柳ノ内(やなぎのうち) (現 柳ノ内)
北村の東に位置する。北村中(きたむらなか) (現 北村中)
蕎麦ノ目北村,現清水地内に天文元年(1532)北村中に迎接寺東台より移し仮舎再建される。舘ノ越(たてのこし) (現 舘ノ越)
北東に位置し,会津坂下町との境。
昭和40年耕地整理事業により一部東畑に編入された。東 臺(ひがしだい) (現 東臺)
蕎麦ノ目集落東方で沢田集落の隣に位置し,来光原迎接寺焼失につき一時此地に移る。弁財天(べんざいてん) (現 弁財天)
澤田集落との境。牛川堀東。