新鶴村 地名の由来 -013/079page
中 道(なかみち) (現 豊田)
昭和38年耕地整理により字名変更。集落西の方に位置し下小沢集落との境。大門前(だいもんまえ) (現 豊田)
堰上神社が祭られており,昭和38年の耕地整理により東畑白山神社と合祀された。西狐塚(にしきつねづか) (現 若田)
昭和38年耕地整理により字名変更。南村中(みなみむらなか) (現 南村中)
蕎麦ノ目南村中の西端に天正4年(1576),現在の南村中迎接寺開山される。紫雲山来光院迎接寺(しうんざんらいこういんこうしょうじ)
現在村中にある寺は,もと扇状地末端の若宮村境に近い,今も来光原と呼んでいるところにあったものと思われる。村が大きくなってから,現在の位置に移った模様。(奥州会津新鶴村誌)南中道(みなみなかみち) (現 豊田)
昭和38年耕地整理により,字名変更。東北堀(ひがしきたほり) (現 東北堀)
北村より北々東,JR只見線沿え。六百苅(ろっぴゃくがり) (現 六百苅)
北村東,JR只見線沿え。西臺名(にしだいな) (現 西臺)
六百苅の東隣。東七百苅(ひがしななひゃくがり) (現 東七百苅)
西七百苅の東隣。西七百苅(にしななひゃくがり) (現 西七百苅)
北村の北々東。JR只見線沿え。来光原(らいこうぱら) (現 来光原)
集落北東で会津坂下町金沢集落との境に位置し,文治2年(1186)迎接寺がこの地に初めて開山されたと伝承されている。南上江(みなみうわえ) (現 南上江・一部豊田)
昭和38年耕地整理により,一部字名豊田となる。南村西隣。