新鶴村 地名の由来 -031/079page
大字 小 沢
会津風土記小沢村の項に「……当邑建始ノ年号並名小沢村卜来由不詳」とあり又下小沢は,小沢村の端村としている。新編会津風土記では「……南を上小沢と云,……下小沢と云,……」と扱っている。明治維新後の地方制度の変遷では,上小沢・下小沢を小沢と称し,時には上小沢と下小沢を,行政区画に定め(明治6年〜明治9年)られた時期があった。明治22年の全国町村制改正により旧村名が大字名となる。上小沢村・西原村・下小沢村の3ケ村を合併し小沢村とし,新田村大字小沢村と改称された。その後明治31年1月23日,新田村と鶴野辺村が合併し,新鶴村となり現在に至る。
小 沢(おざわ) (小沢甲)
清水久保(しみずくぽ) (現 清水久保)
開墾後原野亀 山(かめやま) (現 亀山)
開墾薬用人参作付後原野状態,一部畑歌ノ澤(うたのさわ) (現 歌ノ澤)
大正・昭和初期沢に水田耕作した田園の跡あり大 平(おおだいら) (現 大平)
台帳は原野なるも現在は杉雑木笹 窪(ささくぽ) (現 笹窪)
山林,沢が深く溜池(堤)有り,現在水溜なし押 張(おしはり) (現 押張)
整理前田及び畑,整理後は全面水田西 原(にしはら) (現 西原前)
整理前田及び畑,整理後は全面水田,一部畑西 原(にしはら) (現 西原前)
全面水田
● 遺跡 村西遺跡奈良・平安時期。昭和58・試掘村 北(むらきた) (現 村北)
全面水田
● 遺跡 村北遺跡奈良・平安時期。昭和58・試掘山ノ下(やまのした) (現 押張山ノ下)
水田一部畑
● 遺跡 山ノ下遺跡縄文時期。