新鶴村 地名の由来 -035/079page
上江堰記念碑
○碑 文
昭和拾壹年拾月貮拾参日雪害工事認可
同年拾壹月起工 同拾貮年拾月完了
上江 六尺八寸五分
下江 四尺六寸
右切口は大谷地水下各区長・工事委員・立会人合議の上,下江壹百四町五反壹畝廿壹歩,上江壹百四拾七町五反六畝廿四歩外従前より傅りし万衛門堰口参寸五歩を加へ右切口に協定す
昭和十三年八月建之
上小沢地区耕地整理記念碑
大正十三年十一月工事着手
昭和三年八月竣工
一,旧民有地計 四拾壹町貮反七畝歩
一,旧国有地計 壹町六反八畝拾九歩
合計 反別 五拾貮町六反九歩
差引測量増 九町六反四畝貮拾歩
一,工事総額金壹万六千八百四拾七圓拾銭
下小沢(しもおざわ) (小沢乙)
若 宮(わかみや) (現 若宮)
集落住居区域村 前(むらまえ) (現 村前)
水田,大石ノ目集落西に住居3軒有り才ノ神(さいのかみ) (現 才ノ神)
水田・一部畑上百目貫(かみどうめき)・西百目貫(にしどうめき) (現 西百目貫)
水田上砂子田(かみすなごだ) (現 上下原)
水田下砂子田(しもすなごだ) (現 下ノ下原)
水田下澤ノ目(しもさわのめ) (現 下澤ノ目)
水田中澤ノ目(なかさわのめ) (現 村北)
水田