新鶴村 地名の由来 -036/079page
上澤ノ目(かみさわのめ) (現 上澤ノ目)
水田吉 原(よしはら) (現 村北)
水田・一部畑山ノ下(やまのした) (現 村北)
上小沢編入川 原(かわら) (現 村北)
上小沢編入歌ノ澤(うたのさわ) (現 歌ノ澤)
山林・原野離 山(はなれやま) (現 離山)
山林笹 窪(ささくぽ) (現 笹窪)
山林門 道(もんどう) (現 門道)
牛 首(うしくび) (現 牛首)
山林・一部畑・一部開墾薬用人参作付,現在原野
小沢大久保 大久保窯跡(おおくぼかまあと)
会津盆地西縁山地が東側へ張り出した緩やかな丘陵の東斜面に立地する。窯跡の立地する基盤層は,焼物に適した流紋岩質凝灰岩層からなり,その上をローム層が覆っている。
昭和58年(1983)畑地造成時に十数基の窯跡が発見され,同年このうち2基の発掘調査を実施した。その結果窯跡丘陵の北側から西側へ広がっており,北側1号窯は破壊が著しく詳細については不明の点が多かったが,西側1号窯は全長10.2米・焚口部幅1.5米・燃焼部1.2米・焼成部最大幅2.1米を測る遺存状態が良好な地下式無階無段の登窯であった。
遺物は窯跡内と灰原から,杯・壷・盤鉢葢・甕・焼台が出土し,主体は甕が占める。遺物から創業時期は8世紀後半と考えられ,その供給先は会津坂下町の古屋敷遺跡等で発見されていることから,比較的狭い周辺地域と考えられる。(新鶴村遺跡発掘調査報告書)