新鶴村 地名の由来 -037/079page
上小沢 二ノ久保 瓦焼場
瓦焼場も大久保窯跡と同じく会津盆地西縁山地が東側へ樹林状に張り出した緩やかな丘陵の東斜面に立地する。窯跡の立地する基盤層は,焼物に適した流紋岩質凝灰岩層からなり,その上をローム層が覆っている。ここは昔からの瓦焼場で,昔は越後からきて焼瓦を生産していたそうでその後,上小沢の一條運吉が経営,又新屋敷の斎藤氏が譲り受けた。その後一箕町居合より秋山藤四郎氏夫妻が来て瓦生産に従事,職人として牛沢から佐瀬十次郎氏,新潟より菅野十太郎氏夫妻が瓦生産に従事していた。
廃業は昭和42年頃,登窯は壊され,跡形も無く現在は作業小屋が建っている。