新鶴村 地名の由来 -040/079page
大字 沼 田(ぬまた)
出戸田沢・出戸田沢の端村沼山と入田沢の集落は江戸時代まで大沼郡中荒井組に属し,明治3年9月組制が廃止となり区制が施行され,出戸田沢・入田沢は第17区となった。
その後幾度か変遷があり,明治8年11月の合併改称により出戸田沢村・沼山分・入田沢村の3集落をもって沼田村となった。
明治22年3月町村制実施と共に旧村名が大字名となり現在に至っている。 (大沼郡誌)
出戸田沢(でとたざわ) (沼田甲)
地名の由来不詳
出戸という名は「山の表」と云う意を表したのではないか。
(奥州会津新鶴村誌)
街道端(かいどうばた)
明治16年8月13日出戸田沢村耕地田畑配布元帳より調べ1番〜52番まで 田,一部畑なり。前 田(まえだ)
1番〜49番まで,田,一部畑なり。上中谷地(かみなかやち)
1番〜75番まで,田,一部畑なり。金子澤(かなこざわ)
1番〜43番まで,個人所有林芦 沢(あしざわ)
1番〜44番まで,畑,一部田・山林木留場(きっとめぱ)
1番〜137番まで。畑・草地
延享元年出戸田沢村御検地配布帳に見える
● 遺跡 木留場遺跡 縄文・奈良・平安時代天神堂(てんじんどう)
1番〜24番まで,山・林上田澤川(かみたざわがわ)
1番〜80番まで。田,一部畑
集落の西の田沢川に2ツの橋があり,上ノ橋・下ノ橋などからつけられた地名。東大窪(ひがしおおくぼ)
1番〜60番まで,畑・林・薮近前田(ちかまえだ) (現 前林50番地〜51番地)
畑地造成にて変更。田・畑・林・薮。
近前田・中前田・遠前田の地名があり,村前にあたり村より