新鶴村 地名の由来 -041/079page
最も近い方から名付けられた。
臺(だい) (現 前林47番~49番・52番~54番)
1番~130番まで。宅地・田・薮・林・畑。
畑地造成にて一部変更となる。中前田(なかまえだ)
1番~133番まで,畑遠前田(とおまえだ)
1番~59番まで,畑狐 塚(きつねづか)
1番~78番まで,畑寺ノ前(てらのまえ) (現 前林17番~51番まで)
畑地造成にて変更。宅地・田・畑・草地。
大昔寺院のあった頃よりの地名。寺ノ南(てらのみなみ) (現 前林1番~68番まで)
畑地造成にて変更。宅地・田・山林・草地。
寺の南にあたり地名になった。小 林(こばやし) (現 前林26番~31番まで)
畑地造成にて変更。畑・山林。下上野(しもうわの) (現 前林4番~11番まで)
畑地造成にて変更。畑・山林・草地。
● 遺跡 上野遺跡,縄文・奈良・平安時代・塚四基を含む。
昭和62年(1987)発掘調査銅製経筒2個・古銭(寛永通宝)6枚出土。屈ノ目(くつのめ)
1番~78番まで,田・畑畳 田(たたみだ)
1番~72番まで,田澤 田(さわだ)
1番~29番まで,田泥 浮(どろぷ)
1番~61番まで,畑・田
沼地の様な土地で葦等が多く繁茂していたと云う。百目貫(どうめき)
1番~77番まで,宅地・畑・田,現在住所名になっている。馬ノ墓(うまのはか)
1番92番まで,宅地・田・畑,現在住所名。