新鶴村 地名の由来 -055/079page
上 平
上平集落は戸数も多く(新編会津風土記=十六軒・現=十軒)古くより栄えて来た。特に元和年間の「軽井沢銀山」開発に伴い周辺の集落は,生活基盤も安定した時もあった様である。
墓石をみると五輪塔も数多く珍しい。また天正年間蒲生氏郷と共に会津に布教されたキリスト(キリシタン)も江戸時代初期より弾圧が強化され,信者は人目のつかぬ山里に隠れ住むようになった。俗に「隠れキリシタン」とよばれていた祠が新鶴村内で見るのも珍しい事である。
蛇喰より流れる二岐川は,二岐で佐賀瀬川に合流する。東は高田分で西は川に沿って下東沢・上東沢・飯森山・与一郎平・五郎田・馬立場等がある。集落の地名は,上平と家の上・家の下で南に下林・本宮・狐塚・井戸窪等である。二岐川に沿って上流へ大岩・下鬮目沢・下沼・西ノ沢・この西ノ沢付近で上平川と合流して中曽根・西入ノ沢・銭神平となる。集落の下は下原・西南は抜間・上ノ平(カミノタイラ)・赤岩・切石沢となる。
水田は約4ヘクタールで各々沢,谷沿えに点在している。
上平の不動尊と不動滝
県道 会津若松・三島線,上平部落より柳津方面に約500メートルの地点,左側に沢がある,この沢づたいに約600メートル逆上ると新緑と深い静寂につつまれた高さ約15メートル位の華麗な滝がある,この滝を不動滝と呼んでいる。
この滝を境に(滝に向かって)左側が上平集落,右側が市野集落で,不動滝は両集落の共有と云われている。
この滝に,昔から古い石の祠に不動明王が祀つられており,旧3月3日を祭礼日として,両集落民が賑やかに祭りが行われていたと云う。
昭和30年大谷地堤の決壊,昭和31年の大水害でこの不動尊は石の祠とも流失行く方しれずとなった。
会津坂下町の材木問屋が,不動滝の上流大谷地付近の山を買い入れ伐採し, しら流し の方法で不動滝に落とし,そこから土橇で山だしをして運んだ。ところが材木商は,夜な夜な不動明王が夢枕にたたれ眠れぬ日が続いた,これは滝壷深く沈んでいる不動尊の聖地を荒らしたとのお怒りであることと悟り,石工に不動明王の彫刻を依頼,新たに不動尊をお祀した。その後は不動尊も夢枕にたたれることなく,安らかに眠りにつけたと云う。現在滝の左側崖の中央よりやや高い凹みの所に祀られているのが,その不動尊である。