新鶴村 地名の由来 -058/079page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

  

大字 米 田(よねた)

 明治8年8月大沼郡従来161ケ村の内94ケ村を併合して37ケ村となす。内17ケ村は元通り,37ケ村は併合の分合,104ケ村となれり。         (大沼郡誌)

 この併合による区割りにより,根岸中田村と米沢村が合併になり米田村となる。更に明治21年の市町村制が公布,翌22年これが実施となり,村名の改称があり旧村名が犬字名となった。
 

  根 岸(ねぎし) (米田 甲)

 根岸は単に長尾山の麓の根岸という意味にも軽く考えられると,新鶴村誌に書かれているが,地名の由来は不明。
 

  堂前(どうまえ)・堂後(どうあと)
 御堂に因んで前・後と名付けられた。

  北 原(きたはら)
 集落の北,山麓の裾。

  山ノ下(やまのした)
 北原の下に当り,長尾山の峰に当り根岸の地名の意味にも山ノ下と名付けられた。

  村 南(むらみなみ)
 集落南道路下。

  水 神(みずかみ)
 水神の祠があるところから名付けられる。
遺跡 水神跡遺跡 奈良・平安時期

  桑 園(そうえん)
 吹上公園下一帯,昔養蚕の桑畑に因み名付けられた。

  吹上下(ふきあげした)
 昔此地一帯は風を吹上げたので名付けられた。
今でも風の吹上げの強い所。

  竹 花(たけはな)
 昔竹林が多く,竹の花を見ることが出来たのに因み名付けられる。

  北砂田(きたすなだ)・南砂田(みなみすなだ)
 集落の北に当り,山ノ下立行事稲荷神社街道下にて砂田で水持ちが悪いため名付けられる。

  北山ノ下(きたやまのした)・南山ノ下(みなみやまのした)
 長尾山山麓の根岸集落北に当り,山の下に因み名付けられる。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は新鶴村教育委員会に帰属します。
新鶴村教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。