新鶴村 地名の由来 -069/079page

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   檜ノ目千手観世音の由来
 千手観世音は,現在の米沢村八巻義一宅の屋敷に建てられていたが,今から456年の昔,天文5年6月28日の「白髭の水」と呼ばれた大洪水によって,お堂と共に流されて檜ノ目村の現在地に溜まり,両者の話し合いによって譲り受け現在地に安置されたと伝えられている。
 仏像は柿の木を用いて彫刻されたとて,桧ノ目村と米沢村の八巻義一宅の東3軒は,柿の木を植えられないと伝えられていたが,今ではそのような迷信は打破されて柿の木は植えられている。

千手観世音
千手観世音
 

  檜ノ目新田(ひのめしんでん) (鶴野辺甲)

 檜ノ目新田集落は,桧ノ目集落からの分村である。元は行政区域が一つで区長が本村であれば新田は代理を置き,区長が新田であれば本村は代理を置き委員,役員も夫々同数を置いて,両集落を行政運営しておったが,昭和33年1月1日付をもって村議会の議決承認によって分離した。

 檜ノ目新田地内は元々鶴沼川の川跡である。天文5年の「白髭の水」と呼ばれた大洪水の時,本郷の岩崎山の山崩により水路が変わり,現在の大川となり元の鶴沼川は小さな鶴沼川となり,河川敷を開田して新田を作りし事から始まる。それで桧ノ目新田地区は字名に川原名が多い。
 

  家ノ北(いえのきた)・甲347〜甲374(現 檜ノ目新田・12〜24)
 集落の北の方にあるので,家の北の名称が生まれた。
 水田 2町3反8畝23歩,畑 2畝21歩

  下川原(しもかわはら)・甲375〜甲398(現 檜ノ目新田・7〜11)
 集落の下の方にある川原跡なので,下川原の名称が生まれた。
 水田 2町1反16歩

  家ノ東(いえのひがし)・甲424ノ1〜甲537
  (現 檜ノ目新田・29〜38・52・53〜60)
 集落の東の方にあるので,この名称が生まれた。
 水田 3町8反3畝15歩,畑 1町5反9畝15歩
 宅地 1944坪5合,墓地 5畝17歩


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