新鶴村 地名の由来 -070/079page

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  鶴沼端(つるぬまぱた)・甲538〜甲593(現 楠ノ目新田・61〜72)
 鶴沼川の川端にあるのでこの名がうまれる。
 水田 1町2反6畝22歩,畑 8反1畝16歩
 原野 4畝

  家ノ前(いえのまえ) (現 檜ノ目新田・73〜75・104)
 集落の前の方にあったのでこの名が生まれる。
 水田 2町4畝25歩,畑 3反8畝29歩
 宅地 1640歩
 

〔沖中田分〕

  中川原(なかがわはら) (現 檜ノ目新田・39〜51)
 銀山街道下で鶴沼川と赤沢川の中間にあった川原跡なのでこの名が生まれる。元は湿田で「ヒドロ田」とも云われ,「アバラ」まで入って作業をしたので「アバラ田」,それが訛って「アブラ田」または「油田」(アブラデン)」とも云われた。
 水田 1町1反2畝29歩,畑 1町7反8畝18歩
 

〔境野分〕

  舘 下(たてした) (現 桧ノ目新田・75〜85・95〜103・108〜114)
 元境野分で境野集落の人が開拓した土地である。圃場整備事業後,桧ノ目新田分に入る。
 水田 6町5反3畝15歩,畑 6反1畝27歩

  打 入(うちいり) 甲247〜甲276 (現 沖中田分)
 粘質土のきつい土地であったのでこの名称が生まれた。
 水田 2町7反4畝7歩

  下川前(しもかわまえ) 甲277〜300 (現 檜ノ目新田 124〜128)
 赤沢川の西側にて川向かい(前)の地名で,川前の下の方にあったからこの名がうまれる。
 水田 2町2畝11歩

  西中川原(にしなかがわら) 甲301〜314 (現 檜ノ目新田 105〜107)
 境野分の舘ノ下と西川原の中間にあったので,この名が生まれた。
 水田 1町3反歩

  西川原(にしかわはら) 甲315〜346 (現 檜ノ目新田 1〜6)
 集落の西にあったのでこの名が生まれる。
 水田 2町5反16歩,畑 2畝歩
 

〔境野分〕

  舘 西(たてにし) (現 檜ノ目新田 119〜123)


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