新鶴村の文化財 -001/027page

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新鶴村の文化財の概要

新鶴村は、会津盆地の西縁山裾に広がる風光明媚な扇状台地に位置し、面積40.54平方キロメートル、人口4500人程の小村である。

会津の地は、西に奥羽山脈の流れを受けながら越後山脈にも挟まれ、東に秀峰磐梯山を望んで、古くは会津嶺の国と称され、関東より東北への接点に当っている。このようを会津西縁新鶴の地に、我々の祖先族が住みついたのはいつ頃からのことであろうか。

佐賀瀬川部落周辺や長尾原等からは、古くより縄文土器や石鏃、経筒等が出土して篤志家に蒐集されていたが、昭和53年から平成2年までに村として38ケ所の遺跡を発掘調査し、原始や古代の様子も徐々に明らかになってきている。

新鶴村の遺跡の多くは、佐賀瀬川中流の扇状地及び出戸田沢部落から長尾原を経て米沢部落にかけた丘陵地を中心に点在し、中期・後期の縄文土器や弥生土器、土師器・須恵器等が多数出土している。中には縄文早期や前期の土器片も少数をがら見られ、早くから人々の生活が営まれていたことがわかる。

古墳については、長尾原から米沢部落にかけた山沿いの丘陵地を中心に後期の円墳群が散在し、佐賀瀬川の向山には横穴古墳群も発見されている。これは、この地域で古民族が断続的にも村落を形成し、これを束ねる首長が各所に存在していたことをうかがわせる。

中世に至っては、仏教の流布により田子薬師堂等村内各所に貴重を神社や仏閣、仏像等を残している。また、村内の館跡、柵跡等の記述も会津の資料に見えるようになり、佐原 (葦名)配下にあった頃からの会津中央への関わりもかをり鮮明にをり、各所にその興亡のあったことを彷彿とさせてくれる。更に近世では、新田の開村や堰・堤の構築等、農業の村新鶴の基をつくった数多くの文化遺産が各所に残っている。

新鶴村では現在、国重要文化財として仏像三体、建造物二棟、県天然記然物として植物が一件指定されており、村としても第一次 (昭和53年)6件、第二次(平成2年)5件を指定し、保護・保存に努めているが、この他にも未指定・未調査の貴重を物件が数多くある。長い年月土中に埋もれたまま、あるいは風雪に耐えて、脈々と守り継がれてきた大切を文化遺産を、正しく理解し長く後世に伝えることが、私達村民に課せられた義務であり、責任であると思う。


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