新鶴村の文化財 -025/027page
新鶴村文化財関係年表
年 号 西暦 新 鶴 村 関 係 日本国・福島県関係 縄文時代 前期 前5000ごろ 京安林・下大窪・田子畑遺跡 中期 前3000ごろ 中江聖の宮・上野・木留場・京安林遺跡 後期 前1500ごろ 中江聖の宮・上野・出戸田沢・京安林遺跡 晩期 前1000ごろ 権現堂・木留場・平林C・西窪遺跡 田子畑出土香炉形土器 前88年 四道将軍大彦命・武淳河別命会し、相津という(伝) 弥生 前期 前300ごろ 権現堂遺跡 後期 前100ごろ 東台遺跡 552年仏教公伝 古墳 後期 100ごろ 長尾原円墳群・四十八壇古墳群・五つ壇古墳群 710年 平城京遷都 終末期 700ごろ 佐賀瀬川横穴古墳群 712年 古事記編纂 木留場・田子畑・館ノ越遺跡 720年 得道上人雀林法用寺開山 奈良 中期 この頃大久保古窯操業 720年日本書記編纂 平安時代 大同元 806 蓮蔵法師 米沢山宝トウ寺建立(伝) 794年 平安京遷都 大同2 807 僧空海 中島村に薬師如来を祀る(伝) 806年 磐梯山大噴火 徳一大師 一像を刻み共座させ、薬師寺となす(伝) 807年 徳一 恵日寺建立 弘仁元 810 徳一大師 逆瀬川村に黒岩山興隆寺創建 白山権現を祀り、大日・不動両像を安置(伝) 1189年 佐原十朗義連会津4郡の領主となる 文治2 1186 蕎麦目村迎接寺 来迎原より村北に移す(伝) 鎌倉時代 建久8 1197 田子十兵衛道宥 山王塚に薬師堂建立 1192年鎌倉暮府開く 建長6 1254 根岸中田舘 富塚伊賀守景勝築住 文応元 1260 僧厳知 中田庵創建 文永11 1274 根岸中田に十一面観音鋳造 観音堂創建 弘安2 1279 観音堂別当弘安寺創建 正和2 1313 蕎麦目村に大日堂建立 運慶作大日像安置(伝) 室町時代 応永6 1399 中島村に東光密寺建立 1338年室町幕府開く 永享12 1440 国分重成 米沢村に西宮夷大神宮建立 文安2 1445 佐賀瀬川大日如来に「文安2年」の墨書銘あり 長禄年間 (1457〜1459) 武藤帯刀俊勝 入田沢舘を築く 文明3 1471 出戸田沢薬師堂厨子 樋渡村に移る 永正元 1504 僧立行寺 立行山長伝寺草創(伝) 永正5 1508 蕎麦目村7寸5分大日如来に「永正5年」の銘あり 大永年間 (1521〜1525) 佐賀瀬川舘 平山十郎築住 享禄5 1532 長尾経塚より出土の銅製経筒に「亨禄5天」の銘あり 天文元 1532 蕎麦目村大日如来 村東より紫雲山迎接寺に移す 小野大膳国房 この頃境野舘を築く 天文年間 (1532〜1554) 沖中田東照寺(文禄年間正念寺と改称)火災 田子薬師山王塚の力士像2体流れて杉村に安置される 天文5 1536 大洪水「白鬚の水」 米沢村の屋敷神(千手観音)桧目に漂着、安置される 天文18 1549 梁田舘主 千代和泉守包直卒す 弘治元 1555 梁田柵に藤倉長九郎宗明住す 弘治年中 (1555〜1557) 僧伝説 阿久津村に一心山阿弥陀寺創草 永禄元 1558 境野村主河原田豊前 僧慶岩をして平伝山天宗寺を開山 永禄12 1569 僧亮円 上小沢に泉竜山光明寺を創立 1558年 軽井沢銀山発見 元亀元 1570 沢田兵庫光高 舘内に稲荷神社を勧請 この頃沖中田春日神社 村中の田中屋敷に鎮座とある