新鶴村の野仏 -003/055page

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新鶴村の野仏解説

野仏調査は、耕地や道路が基盤整備工事が実施されるのに伴い、又は所在の変更が見受けられるので昭和五十七年度から調査に入り実施しました。調査に入る前に、各部落のどこの場所に何が祀られて居るかなど確認しなければなりません。又、場所とか文字の確認には各部落の先人の方々に御協力をお願い、又写真の撮影、文字の解読には専門的ではありませんので苦労致しました。

又、各部落に実際残って居る石仏を調査致したに過ぎませんが、神社や野端に自然の姿で祀られて居るお姿を見て、私たちは此れらの石仏を子孫に伝えるための務めであると思い実施しました。

新鶴村には江戸時代からが多く、特に古いのは鎌倉時代弘安年間(西暦一二七八年)祇園牛頭天王塔が一基はど見受けられた。特に作神信仰が多く、湯殿山、飯豊山、二十三夜塔、地蔵尊の順に多く造立されて居るようです。地蔵様などは、何時も子供達や大人の手に触れて撫で廻され、幾歳月ともなく風雪に耐えながら、いつも変らぬお姿はなんとなく親しみ易い仏様でありましょう。又、立派な石材に刻まれた供養塔の建立は、先祖達の深い信仰の現れではないでしょうか。

又、各部落の調査漏れも沢山あることと思いますが、今後共調査活動を続けたいと思いますので、村民の皆様方のお気付きの点がありましたら御指導御協力願えれば幸いです。

最後に、野仏の編集を担当、御協力下さいました専門委員の方々、又御協力下されました村民の皆様に厚く御礼申し上げます。

昭和六十三年二月一日

新鶴村民俗資料専門委員
     委員長 渡 部 重 夫


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