新鶴村の野仏 -004/055page

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新鶴村の野仏調査について

(1)湯殿山

作神信仰の碑で、もとは各部落ごとに講中を組んで、行屋に宿り水をあび、身を清め火を別にして代参で、お参りにお盆の節に出発したのである。出羽三山とは月山・羽黒山・湯殿山を言うのである。

(2)飯豊山

飯豊山の碑はあまり新鶴村の場合見受けられないが、会津の飯豊山参りは盛んに行われてきたのである。明治・大正・昭和二十年頃までは盛んに行われて釆たのである。

(3)弁財天・己待塔

弁財天は弁財とも云う女神である。福徳を授ける神であると云うが、もとは農業神である。鎌倉時代以降、我が国では福徳神として信仰され七福神の中の一人と数えられている。

(4)巳待塔

己巳(つきと)の日あるいは前日の戊辰(つきのえ)の日や巳の日などに、講中で夜おそくまで起きていて精神供養をする行事を巳待と云う。此の巳待の供養に造立されたのが巳待塔である。巳待の本尊は弁財天とされている。

弁財天はインドの非常に尊崇された女神で、河川を神格化したものとされ、人の汚れをはらい福楽・食物を与え、勇気と子孫を恵む神といわれる。

(5)地  蔵

地蔵ははとんど石像である。常に六道をめぐって衆生を救い、此の世から極楽に行く人々を導いて信ぜられ、庶民生活にもっとも深い関係を持つ仏であった。近世になって民間信仰と結ばれて広まり、火防盗難病気除などの年中行事の一つともなった。又子供とは強く結びつき、子育地蔵・子安地蔵の名で信仰されている地蔵が多い。

像形は、右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠の姿が多く、合掌像がこれにつぐ。彫法としては浮彫と丸彫がある。立像・坐像の別がある。

(6)馬頭観音

観音の像容は、頭上に一馬を刻み胸前で合掌するのが普通である。他の観音は慈悲相であるのに、馬頭観音は明王的性格があるところから、馬頭明王とも呼ばれる。

一面二臂像・一面四臂・一面八臂・三面二臂・三面八臂像がある。持ち物は二臂が胸前に合掌する。宝輪・宝棒・斧・剣・数珠などを手にして居る。

当村の場合は、刻像より文字塔が多く見受けられた。自然石に馬頭観世音と刻まれたのが多い。衆生のために大悲願を立てて自ら解脱を求めず無名の世界にあって、悪を除くことを念願している。昔は農家にとって又農作業にあってもかかせない家族の一員であった。昔、馬の背に荷物を乗せて通る姿も見受けられた。

馬を大切にし、馬匹の安全守護を願って碑を建て、死んだ馬の供養のために立てたのであろう。

(7)庚申塔・青面金剛塔

暦の上で六十日目にめぐって来る庚申の日に、一晩中眠らずに飲食する風習である。此の庚申待ちの風習はもと中国の道教の守庚申から出ているといい、庚申の夜には三尸の虫が睡眠中の身体から脱け出て天に昇り、天帝に其の人の罪過を報告するから生命を奪れるので、其の夜は謹しんで過ごす習慣だとされて居る。三尸は庚申の夜眠りさえしなければ身体から抜けられない。庚申の日は六十日に一度めぐって来るのだから


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