わたしたちの三島町 - 064/079page
(2) むかしのくらし 《すまいのようす》 三島町のほとんどの家が農家でした。田畑をたがやし養蚕(ようさん)でくらしていました。いろいろなものをはこぶために馬をかっている家もありました。三島町は雪が多いので、馬も家ぞくの一員のように同じ屋根の下でかわれていました。土間(どま)の半分がウマヤになっていました。 むかしの農家 (酒井三良画) このころの家ぞくは大家ぞくで、じいちゃんふうふ、むすこふうふ、子どもたちが一つの家にくらしていてにぎやかな毎日でした。
《すまいのようす》
三島町のほとんどの家が農家でした。田畑をたがやし養蚕(ようさん)でくらしていました。いろいろなものをはこぶために馬をかっている家もありました。三島町は雪が多いので、馬も家ぞくの一員のように同じ屋根の下でかわれていました。土間(どま)の半分がウマヤになっていました。
むかしの農家 (酒井三良画)
このころの家ぞくは大家ぞくで、じいちゃんふうふ、むすこふうふ、子どもたちが一つの家にくらしていてにぎやかな毎日でした。