わたしたちの三島町 - 068/079page
〈道路が通ったころ〉 100〜50年前のころ
江戸(えど)時代までは、三島町の集落(しゅうらく)は峠(とうげ)でむすばれていました。にもつは人馬(じんば)が運びました。
滝谷は伝馬宿(でんましゅく)の中心としてさかえました。西方は、越後街道(えちごかいどう)の宿場(しゅくば)としてさかえ、新潟(にいがた)からの塩(しお)の道となっていました。
明治24年に沼田街道(ぬまたかいどう)がなおされ開通(かいつう)すると、宮下は会津坂下町、柳津町、三島町、金山町、只見町方面をつなぐ交通の中心となってはってんしていきます。
西方の宿屋
むかしの橋