わたしたちの三島町 - 069/079page
<宮下発電所工事が始まったころ> 50年前のころ
昭和15年から宮下発電所工事がはじまりました。この工事は、国の仕事(しごと)だったので、道路がよくなり高清水橋もかけられました。昭和16年には、鉄道が宮下まで開通しました。この時から、トラックや鉄道で工事に使われるものなどが運ばれるようになりました。
トラック輸送宮下発電所はできるまでに9年間かかりました。工事ではたらく人や、その家ぞくで町の人ロは、昭和25年には7721人にもなりました。町は活力があふれ、むかしのままの生活をしてきた三島町の人びとに新しい考え方がふきこまれました。
はたらくだけだった女の人たちも、生け花やおどりを楽しむようになってきました。
昭和17年と26年の2回、宮下には大火がありました。通りにめんした家々がやけました。