わたしたちの三島町 - 071/079page
〈三島大橋ができたころ〉 15年前のころから
宮下地区(ちく)と西方地区の間には、只見川という大きなしょうがいがありました。遠まわりの宮下発電所近くの高清水橋だけでしたので、宮下と西方を近くでつなぐ橋がのぞまれていました。昭和50年にようやく「三島大橋」が完成(かんせい)しました。さらに51年6月から町営バスが走るようになりました。高校生の通学(つうきん)、工場への通勤、お年よりの病院通いなど生活に大切な足となりました。
女の人たちの工場ではたらく数がふえ、家の中のしごとにも、電気をつかった道具を使うようになり、らくになってきました。衣(い)・食・住、生活全体にわたり、とてもゆたかになってきました。
50年代には、自動車が一家に一台になり、道路がととのえられてきました。