わたしたちの三島町 - 070/079page
〈三島村から三島町になったころ〉 30年前のころ
宮下村と西方村の合併(がっぺい)から、6年目の昭和36年4月1日に、三島村から三島町になりました。そのごろから、福島県下(けんか)で一番人ロの少ない町でした。
昭和35年ごろから、三島町にもテレビが入りはじめました。39年のオリンピックのころには、どの家にも一台テレビが人るようになりました。冷(れい)ぞう庫(こ)、洗(せん)たく機(き)なども家ていで使われるようになりました。
農業にも、こううん機などのきかいがとり入れられるようになってきました。それにつれて、出かせぎがまた多くなりはじめました。冬の間だけだった出かせぎも一年中のようになってきました。