わたしたちの三島町 - 078/079page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

(4) 三島町の年表

年号(西れき)
主なできごと
縄文時代中期
       〜後期
縄文時代晩期〜
   弥生時代前期
大同 2年(807)
建久 1年(1190)
慶長 8年(1605)
天明 4年(1784)
明治 5年(1872)
明治 6年(1873)
明治21年(1888)
明治22年(1889)
明治26年(1980)
大正 6年(1917)
昭和16年(1941)
昭和17年(1942)
昭和21年(1946)
昭和22年(1947)
昭和26年(1951)
昭和30年(1995)
昭和36年(1961)
昭和49年(1947)
昭和50年(1975)
昭和54年(1980)
昭和56年(1981)
平成 3年(1991)
三島町に人びとが住みはじめた。(川井佐渡畑、
西方銭森、間方堂平、大石田居平遺跡など)
荒屋敷遺跡に人びとが生活していた。

三島町に仏教文化はじまる。
三島町が武士に支配された。
徳川幕府の直轄地となる。
大飢きんで多くの人が死んだ。
大谷南小学校がお寺に開校。(のち宮下小学校)
西方小学校がお寺に開校。
「村」が「大字」になる。(川井村→大字川井)
西川村外ニヶ村組合村(川西村・原谷村・三谷村)と川西村となる。
沼田街道(旧国道)が完成。
川西村が西方村に名前をかえた。
鉄道が宮下まで開通。
西川村外二ヶ村組合村が宮下村となる。
宮下発電所が運転開始。
宮下中学校と西方中学校が開校。
福島県立宮下病院ができた。
宮下村と西方村があわさり、三島村が生まれた。
三島村が三島町となる。
町民運動場がオープン。
三島大橋が完成。
役場と町民センターが完成。
西方小学校改築。
宮下小学校改築。

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は三島町教育委員会に帰属します。
三島町教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。