鮭立磨崖仏 - 014/135page

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庶民の願い ― 造像の背景

1 江戸時代の人口の推移

 では天明のころとはどんな時代だったのでしょうか、飢饉を連想する人は年配者でしょうか、飽食の時代といわれる現代の人々はなにを思うでしょうか。

 江戸時代初期には全国の人口を調査したものはありませんでした。享保六年(一七二一年)より六年毎に各藩より提出させたものを集計するようになり、武士等の人口は除いてありますが大よその人口の推移はわかります。

 戦乱がやんで平和な時代になると人口が増えるのは歴史の通例です。

 また、江戸時代の初期に農具が改良されて労力に余裕ができると、その労力は新田の開発にむけられ各藩もまた新田の開発を奨励しました、農地が増えれば食糧の生産高もふえ人口の収容力もふえています。こうして豊臣秀吉の時代に約千八百万人と推定された人口は、約百五十年後の享保時代には二千六百万人にふえているのです。しかし、それ以後は


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