鮭立磨崖仏 - 027/135page
なっていました。
庶民と密着して生活していた宥尊法印には、民衆の苦しみを直接感じていたので、多くの人々を救うために尊像を彫刻する決心をした、とは容易に考えられることです。法印は天明四年は五十二才でしたので、一代で完成することができなかったにも拘らず、志をついだ人が彫り続けて、ついに法印賢誉の代に完成させたという、その信仰心の深さと不屈の努力に対しては、誰でもふかい感銘をうけると思います。
祈りをこめて ― 尊像の表楕つぎには、岩淵家の祖先が祈りをこめて彫ったという尊像を順次みてみましょう。