鮭立磨崖仏 - 134/135page

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  [あとがき]

 豊かな水をたたえて流れる只見川。その流域は全国でも有数の雪の多い地帯です。その厳しい自然にさらされて土地も肥沃とはいえない山間部の農村、鮭立です。しかしここでも、懸命に生きる農民の暮らしがありました。

 江戸時代後期、天明のころ。飢えと疫病と重い年貢に苦しむ農民の姿をみて、この村に住む修験者は祈りをこめて一心に磨崖仏を彫ったといいます。そこには、苦しみながらせっせと働いた農民たちの、安らぎを求めるせつない願いがありました。

 世は移り変わって明治維新のとき、修験道が廃止されると、時の流れとともにいつしか忘れ去られてしまい、わずかにホロシの神様として少数の人たちに信仰されているだけになりました。

 しかし、尊像は風雪に耐えながらも、集落を見渡す位置にあって、今も村人たちを見守っているかのように思えてきます。


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