カラムシ資料集その1-018/028page

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来外交上の関係最も接近せる沖縄地方等の苧麻興業古昔より開け、その製織機の越後の夫れと近似するの點多し、且越後の苧麻種なる白銀、赤銀の二種は、夫々支那傳來種なる本島の青心、紅心に略附合し、琉球、沖縄産の苧麻種も舊琉球藩政時代、支那福州より輸入せられたる福州系統に属すべきものなり。
…北は越後及びその附近地、南は沖縄、南海諸島及びその附近地に於て、…支那より直接又は間接に傳來せるものなるべしと稱す。
c、…亜細亜最古の文明の先進国として、文物に、制度に、農業に、工業に常に範を亜細亜の諸國に垂れたり。
以上の理由により、現今一般の是認する苧麻の來歴は、古昔支那地方より輸入せられたるものなりとするにあり。而して野生改良説は之を是定するの確然たる證跡なしと難も、一般に首肯是ざる處なれども、或人は次の理由を以て日本北部地方苧麻は野生種を取って化育せるものにあらずやと稱せり。
a、古昔遠く相離れたる北國の越後地方に於て苧麻栽培製織の業、嶄然として隆盛發達せる事。
b、和漢三才図會に葉を去り莖を浸し、後此を取出し薦莚を覆ひ、是を蒸す、故に虚蒸(カラムシ)と稱する云々と記載せるにより、「カラムシ」は唐より傳來せるが故に「カラ」なる冠唐語を有するにあらずとせり。
c、支那の一苧麻産地にて苧麻を、日本苧と稱する庭あるにより。
d、今より五百有餘前、武藏野には既に苧麻野生し、千代田草と命名せられ、…北國の苧麻は野生種を改良したるものにすらずやと稱せり。然れども支那にて苧麻を日本苧麻と稱するは、支那より輸入せられたる苧麻を米國種、佛國に輸入せられたる支那苧麻を佛國種と稱するが如くにて、之を以て野生改良説を云々する理由とならざるべく、且又苧麻は野生し、此を採收利用せるの事由を以てするも、尚野生改良説の證跡とならざるべし。何となれば古來支那傳來の漏曳により、野生状を呈せるものか、又は植物學上苧麻の野生原種なるや、頗る疑問の存ずる處にして、如上の理由により野生改良を唱ふるは、恰も彼の佛國、獨逸が綿の輸人前、野生の蕁麻なるUrticadioicaを盛んに栽培利用せしの歴史あるを理由とし、現今の歐州苧麻は此等の蕁麻より改良増殖せられたるものなりと速斷するが如きものなるべし。
カラムシは虚蒸より胚胎せりとの説も果して苧麻を虚蒸したるものか、又は大麻を虚蒸したるものか判然せず、古來より事物の古事來歴を述するに、字句より勝手なる解釋をなすもの間々あるを以て、之を以て直ちに野生改良説に首肯する事態はざるべし。要之苧麻の野生改良説、支那傳來説の一方又は兩を首唱するの判然たる證跡なく、此の問題は尚研究を必要とする處なり。…
…苧麻産業に鋭意奬勵の策を立てたる上杉藩たりし越後は、足利時代既にその栽培を來し、上杉藩轉領と共に、又會津、米澤にも勃興し、此等北國に於ては昔時より嶄然として苧麻興業に於て頭角を現はし、…
…その最も隆盛を來せるは、今より二百有餘年前、徳川中興の享保年間より、天保初年に至る大凡百二十年間なり。越後に於ては、今より二百三十餘年前、元禄の時代より、昌平に於て麻布工業は繁榮の絶頂に達したりき。…
…越後地方の苧麻興業は、遠く足利時代にその端緒を發し、…
四 日本内地に於ける製麻工業
b、苧麻紡績機械工業
…大阪麻絲株式會社の成立…
…大元紡績会社(東洋ラミー会社に合併)…
第三節 臺灣
一 沿革
今より数百年前山田長政、津田又左衛門、濱田彌平等の南洋及び臺灣に覇を伸ばしたる元和より寛文の時代、既に苧麻は臺灣に栽培せられ、貿易の品中の一として當時夙に苧麻繊維は本邦に輸入せられたもの…本島の栽培種はその起源は二途に分れ、一は蕃人の栽培せるもの、他は支那南部地方より輸入傳來せられたるもの是なり。

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