カラムシ資料集その1-019/028page
(A) 蕃人苧麻栽培の沿革
…鯨面蕃族は蘭人據臺以前古くより既に苧麻を栽培し、繊維を採收して自家衣服の資料に供したりき。爾来年を重ぬる幾星霜、孤々獨立その栽培蕃人採絲利用の法を改善し、製織の術を練摩し、染色の意匠を凝らし、從來唯一の自家用品たるに止まりし苧麻繊維は、遂に物々交換の重要なる原始的工業品に發達し、古來幾百年の間、連綿としてその粗繊維及び蕃布を土人部落の手を經て他國搬出し來れるの歴史を有するものゝ如く、故に蕃人は長き錬磨により、その栽培、採絲、製織の技術には、古來獨特の技能を有し、殆んど先天的の如き驚嘆すべき巧妙なる技術を有するものゝ如し。
…蕃人の祖先は馬來人種にして此津賓群島蕃に最も近接せる関係を有し然も此島には古來苧麻を産せるを以て推するに、且臺灣タイヤル蕃人中角板山の苧麻に對するの蕃名カギーは暹羅名Caloe、交趾支那名Cay-gaiに極めて語音類似する…
(B) 本島支那人の苧麻栽培の沿革
千六百二十四年(今より二百九十八年前)…昔時支那より輸入し、南部より北部に傳播したりと称せらるゝを以て考ふるも、本島に於ける支那人の苧麻栽培に起源は、今より三百有餘年前、既に臺南附近に起源競るものの如し。
而して支那博來種は本島中臺北及び中南部一帯の平地に栽培分布するに至れり…
(f)…本島苧麻は以上の如く往古蕃人の栽培にかゝる種類と、今より三百餘年前支那より輸入せられたるものとの二系統を有し、前者は蕃界山地及びその附近の本島人部落に傳播し、後者は北部中南部の平地一帯に重に傳播栽培せらるゝに至りしものゝ如し。
三、輸出貿易
支那の苧麻はその全産額の殆んど五分の四は自國の消費する虞に處て、海外に輸出するは眞にその一少部分に過ぎざるなり、翩って臺灣の現状を顧みれば、全く反對の景況にして、その生産苧麻は殆んど對岸支那に輸出せられ、自島内に於ける消費は全産額の僅々十分の一にも足らざるなり、…
四、臺灣における製麻業
…大正八九年頃、大阪の伊藤忠兵衛氏等は、資本金二百萬圓を以て、本島に於て苧麻の栽培製麻の購入、販賣竝に紡績を營まんとし、本島の赤司初太郎氏の附属苧麻園を有する紡績工場を起さんとし、また鐘淵紡績会社、東洋ラミー会社、富士ラミー会社など何れも略ぼ同一目的を以て着々調査の歩みを進めたり、而して本島に於ける苧麻工場の設立に際し、各資本家側の悶著起りしも、結局相互に妥協し、大正九年愈々資本金百五十萬圓の苧麻織物会社、百萬圓の資本を有する苧麻産業株式会社の二大会社設立の端緒を得たりしを以て、本島の苧麻工業の漸く発展の基礎を得たるものと云ふべく、而して一工場の消費原料は六七十萬斤乃至百萬斤内外を必要とするものなり、本島は年々百六七十萬斤内外の原料を生産し、その大部は支那に粗繊維の儘輸出せられ、尚増産の餘地廣大なるものあるを以て、本島の苧麻工業も将來益々發達隆盛を極むるに至るべし。然れども此等会社も戦後の不況により、一時中絶の状態にありしも、經濟界の恢復と共に、近く再興せらるゝや必せり。
第四節 朝鮮
太古より朝鮮は苧麻の生産國を以て聞へ、麻布機業の起源は本邦より古し、…
第五節 諸外国
三 比律賓
…苧麻は比島に極めて豊富なりと稱せり。
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