昭和村 あんじゃ こんじゃ -017/057page

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歴史編

[ 歴 史 ]

 昭和村の地に生活があったことをうかがえるのが大芦地内の見沢山や、下中津川地内の一坪田、矢の原の開墾地から縄文式土器の早期のものが発見されており、古い時代から人が住んでいたことが分かります。現在史跡として残るのは中世から近世のものが多いようです。
昭和村の地図[歴史]

1. 牛首城跡 1. 牛首城跡
 山ノ内氏八代目の俊祐が二男・俊行に野尻の地を与え、文和3(1354)年に築いた城。伊達政宗に滅ぼされるまでの約400年を治めました。
2. 中丸城跡(琴琵羅山) 2. 中丸城跡(琴琵羅山)
 野尻、山ノ内氏が外敵からの備えを堅固にするために造営したものと言われています。(築城年は不明)

3. 会津藩士戦死者の墓
 奥会津昭和の森人口の西の山側中腹にあります。あまり目立たないためその存在さえ知らない方が多いようです。

4. 戊辰の役古戦場 4. 戊辰の役古戦場
 会津藩士、野村新平の墓があります。大芦・矢の原の戦いの跡です。皮肉なことにこの戦いは、鶴ヶ城落城後の戦いでありました。

5. 官軍戦死九人の墓
 官軍[朝廷側の軍勢をいい、幕末は[薩摩藩(鹿児島県の西部)、長州藩(山口県の西部と北部)、土佐藩(高知県)、肥前藩(佐賀県の一部)を中心とした連合軍のこと]その数9名(加州藩6名、高崎藩3名)大芦地区の共同墓地に眠っています。国道401号沿いにあります。


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